残業規制がADHD排除の論理なわけないじゃん

http://menhera.jp/2064

http://syakkin-dama.hatenablog.com/entry/20170224/1487937935

こちらの件。発達障害ではないが障害を抱えている当事者として「はぁ? なに言ってんの?」としか思えなかったので、ここにメモっとく。

結論。

  1. 障害があることを時間給労働の安売りの根拠にするのは当事者含め労働者をまったく幸せにしない
    理由:「あ、きみ障害もちなの? じゃあ時間給安くするか残業サービスでいいよね?」ということになる
  2. そもそも「昨今は残業規制がかまびすしい」という認識は誤り
    もともと一日8時間以上の労働は違法。それ以上が規制されているのに空気を読む人々が見過ごしてきた
  3. 8時間の労働時間というのは「一日は24時間」とおなじ物理的な限界
    25時がないのとおなじで、サービス残業というのは本来ありえない。ゲームで言えばチート
  4. そもそも障害当事者に8時間で一定効率必達な仕事は要求されていないし、多様な仕事のありかたがある
    現状とおなじ職種であっても障害に限らず労働者の環境・特性に配慮するのは雇用主の義務。それでも本人が対応できないのであれば、他の労働形態や職種も用意されており、障害者手帳取得者であればアファーマティブアクションの対象となる

以下詳細。長いので読みたい人向け。
正直、夜中に寝ながらスマホで書いたので傍論にしかなってないです。ニーズがあれば読む価値あるようにまとめ直します。

1番について。

元の主張を逆方向から考えてみればおかしいことにすぐ気づくと思う。

  • 被雇用者「ぼくは障害があって効率が悪いのでサービス残業させてください」

これは、

  • 雇用者「きみ、障害があるから残業はサービスでいいよね」

ということを許すのにほかならない。

「いや、本人が希望すればOKってことにすれば?」

いや、それ今までとなにもかわってないから。

「雇用者は命令してないけど被雇用者が自発的に残っていることにする無給労働」がサービス残業だよね?

だれが自発的意志の存在を確認するの? いままでできてなかったじゃん。

しかも、ただでさえ障害を抱えている弱い立場の労働者だよ? 雇用側にしてみれば「自発的に」サービス残業を申し出たことにしまくるに決まってるじゃん。

そんなことOKにしてたら、障害を理由にした奴隷労働がまかりとおることになってしまう。

2番。これはわかってる人にはちゃんとわかってると思うんだけど念のため。

「なんか最近長時間労働へのしめつけきつくなーい? へんなのー」

って思ってる人がいたら。ばか言っちゃいけない。新労働三法が締結されてからこの方、8時間以上の労働が合法だったことなどないから。本当ならサービスでない残業すら違法なんだ。

それでも残業がおこなわれているのは、会社がぼくら社員で結成した労働組合と「三六協定」を結んで合意しているから。

「え? 組合なんて知らないよ?」って人。会社で適当に選んだ社員がかたちだけの実体のない組合をつくってるの。そこが協定を結んでる。こんな灰色の状態おかしいんだけど、みんな空気読んで従ってる。

そう。ぼくが気になるのは、むしろこの「空気読む」ほうが精神疾患をかかえる障害者にはつらいんじゃないの? ってことなんだけど。

すくなくともぼくが知ってる病者は、だいたい、

  • 労組も協定もないのになんでみんな笑ってるんだろう・・・コワい・・・
  • え、定時過ぎたのにだれも帰らないの・・・

で空気読めず、調子崩してカラダ悪くしていく。「ADHDだとサービス残業が必要なんです」なんて、そりゃ症例としてないとは言わないが、さも一般論のように語られると迷惑でしかない。

3番。

あのさ。8時間労働だと「まだだ! まだ16時間ある!」とか思うんだろうけれどさ。「8時間は物理的限界であってそれを超えることは不可能」だったら、サービス残業前提で考えないよね?

たとえば1日は24時間じゃん。なにをどうしてもそれは変わらない。もし、どうにかしたいのであれば、

  • 社会的互助でどうにかする
  • そもそも1日という枠組みで考えない土俵に移る

んじゃないの?

あと、

「8時間は物理的限界じゃねーよプゲラ」

て思う人は8時間を軽く見過ぎ。ここまでくるのに人類がどれだけがんばったと思ってるんだ。

産業革命下都市労働が発生した1700年代は一日16時間労働があたりまえ。そこから多くの社会運動が起きて、一日10時間労働を達成。

そして8時間労働が国際協約としてうたわれたのが1919年ILO総会。百年前だね。まあ、日本を百年前のレベルまで戻したいならそれでもいいけどさ。

ちなみに「8時間」というのは意味があるんだよ。一日を三分割すると8時間でしょう? それで8時間を労働に、8時間を休息に、残りの8時間を自分たち自身の研鑽や趣味に充てようってこと。これを150~100年前の全世界の人々がいっしょになって叫んでたわけ。

8時間労働って、そういう歴史的に勝ち取られた世界標準なわけでさ。物理的限界というか、ゲームの絶対的ルールと言っても過言じゃないわけよ。

チートはだめでしょ?

4番目。

そもそも論として障害者であろうとなかろうと、労働者個人に対して常に一定の効率が期待できると思いこんでる経営者ってバカだよね。

個人だとブレがあるから組織でカバーするので。個人にカバーさせるなら会社つくる意味ないから。

なのでADHDだろうとなかろうと、そんなマネージメント能力不足の論理をふりかざす経営者のもとからは早めに去ったほうがよいです。

ただ、環境は気に入っているので「障害は抱えているが他人とおなじ効率や結果を出して継続勤務したい」という人もいるかもしんない。

それは、誤解を恐れず言えばその発想自体が誤りです。

先にも書いたとおりぼくも障害を抱えているし、子どものころから障害者支援活動に携わってきたけれど。

障害を抱えているのであれば、まず自分の出す結果は他人と異なるという事実は認めないとだめです。それを否定することは自己否定でしかありません。

自己否定しているのだから、サービス残業しようがしまいがつらさは変わりません。

なんか説明がめんどくさくなってきたな。

常者にわかりやすい例で言えば育児で時短勤務してるひとだな。

育児してる自分を「でも同じ結果出したいんです!」って否定してもしょうがないよね。実際、ママさんはこういう苦しみを抱えてるけれど。

でも会社は同じ結果出すことを期待してママさん雇ってるわけじゃないから。たぶんに理想論だけど、あなたのこれまでの勤務経験や人柄を資産だと思うからこそ雇ってるので。

あれだな。まとめると、

  • 社員におなじ歯車のように同じ効率・成果が求められているのだとすれば、それは会社の経営のしかたがおかしい
  • いっぽうで障害当事者も、ほかの人と同じ効率・成果を追求するのは自己否定に陥るワナ
  • しごとって効率と成果だけなの?

だな。

で、あと、カミングアウトしている場合に限定されるけれど、病者ならいわゆるアファーマティブアクションを活用すべきでしょう。

企業には一定割合で障害者を雇用する義務がある。きちんと果たしていないと罰金をとられるんだなこれが。

元記事の主の等級はわからないが、一定期間以上の診察歴があるなら精神障害者手帳の交付を受けているんじゃないかと思う。

って書いたら id:kamm が↑だけ引っ張ってブクマしてたけど、まさか「手帳所持者と決めつけるのは差別だ」とかいう 意図じゃないだろうな…。そういう意味じゃなくて「診察歴があるなら交付を受けられるし、まあたぶん受けているんじゃ ないかな。受けるべきだし」って意味だからね。はぁ…。取得できるのに障害者手帳もってないのって、不利益しか被って ないから。健康保険料払ったリターンがないってことだからね? とりわけ精神疾患の場合は長期の加療が必要だったり、 または生涯にわたってのサポートが必要なのに、それを拒否していると治療がままならなくなっちゃうんだよ。だからこそ、 旧32条障害者手帳での支援を受ける必要がある。医者もふつうに勧めます。揚げ足取りめんどくせえなあ

手帳をもっている場合は障害者雇用義務の対象者になる。すると、

「え、じゃあひととなりのわかってるうえに、雇用義務も果たせるんだ。おいしいです」

となって、会社に重宝がられることになる。

多少仕事の効率が低いくらいは相談に応じてもらえるわけだ。だからって別に卑下することはなくって、ときおり才能の片鱗を発揮できれば、

「あれ! こいつたまにすごいことやるな!」

とも思ってもらえるという。

・・・つかれたのでここらでねる。 おやすみ。


個別追記:

  • id:kamm おまえは「うわー」ってどういう意味か説明しろ。障害者手帳のあるなしに言及したことが差別だとかいう妄言だったら許さん。なんでオレが自分でももってる手帳のことで他人を差別せにゃならんのだ。障害者手帳は胸を張って持つべきものだ。おまえみたいなやつの存在があれをケガレにしてるんだよ
  • id:satetsu_inu ”多様な仕事のありかたがある”が残業は認めません。
    アホか。最近長時間労働がらみでこの手の幼稚園児みたいな揚げ足をとって得意がってる乳児を見かけるけれど、なんのイヤミにもなってねえっつってんだよ。おなじ論法で言ったら「"多様な仕事のありかたがある"が殺人請負業は認めませんプゲラ」とかもありうるのか? 契約に基づく労働が社会という枠組みのなかでおこなわれる以上、そこにはルールが存在する。マルクスが指摘したような人間性疎外を起こしうる事象は防がなくてはならない。仮に障害当事者が近視眼的に過剰労働を希望したとしても、それが結局奴隷的労働を現代に再現するものでしかない以上、「えー、そりゃ筋悪でしょう」と判断するのがまっとうだってこと
  • id:itarumurayama http://b.hatena.ne.jp/entry/324352318/comment/itarumurayama
    いや、長時間労働規制反対論者は立法とそこに影響力をもつ財界の大半を占めてるだろ。それでも意向が反映されてないというなら、どうぞ労組をつくって運動をしてくださいというほかない。労組はひとりでもつくれるよ。サービス残業なくせって運動も、そこからはじめてずっとやってるんだからおなじ立ち位置でやりゃあいいじゃん
  • id:usausamode ハンデに対し社会のなんらかの補助が必要なのかな
    うん。社会的扶助で補えばいいんだと思うよ。というか上述のアファーマティブアクションがそれで、現状でも利用できる制度はすでにある。それをきちんと使っていけば生きやすいし、使っていくべきなんだよね。なぜなら社会と契約して生きていくなかで、障害をもつ・もたざるにかかわらずぼくらは一定のルールを守っていかなければならないから。そのルールを守れそうもないときは胸を張って助けてもらえばいいんだよね
  • id:PowerEdge 自分の場合は拘束時間を2時間くらい長くしてもらって休憩時間も2時間増やし
    すばらしい話だと思います。たいへんだったと思いますががんばってください。